勉強日記

備忘録

新生活

2023年4月、従来の計画通りの職場に就職した。渡米前のワンクッションとしては申し分ない環境。思い返せば、生活環境が変わる度に最初の1−2ヶ月は軽く鬱になっていた。

中学、高校、大学、初期研修と環境が変わる度に軽く鬱になって、6月くらいから精神的に安定するサイクルを繰り返していた。ストレスに弱く、完璧主義?(単に失敗が怖いだけかも)な一面がそうさせていたんだろう。

今回も例外なく軽く鬱になった。英語環境である事に加えて、ここ3年くらいずっと一緒にいた妻と離れて暮らしていることが想像以上に大きかった。ただ、幸福なことに昔から運だけは人一倍ある。巡り合う人たちがいい人でなぜか助けてくれる。バカみたいな相談にものってくれるし、しっかり真剣に悩みを聞いてくれる。そんな周囲のおかげもあってようやく元気を取り戻してきた今日この頃。心が健全なうちに、最近の気づきをメモしておこうと思う。

 

相対評価絶対評価

自分は子供の頃から笑ってしまうくらい真面目だった。半ズボンを上に上げすぎて、パンツがズボンの裾からはみ出るくらい。ちょっとバカが付く真面目さ。レッドソックスの吉田選手がズボンでいじられているが、あんなもんじゃなかった。

なんでも真面目に取り組む性格も、環境が変わって様々な価値観に触れることで適度なテキトーさを獲得した。

それでも、タスク等を与えられたときには自分が納得できるレベルにしないと気が済まない性分は今でも変わらない。90点以上じゃないと落ち着かないのだ。

絶対評価は、全体像を見通せてしかも周りのレベルが90点以下の場合には問題ない。100点がどのようなものか理解できていれば、90点をとることはそこまで難しくないし、周囲と比べられる事態になっても大丈夫。

しかし、全体像が見えていない時や周りのレベルが90点以上の場合には困った事になる。全体像が見えないと自分が目指すべき状態が想像できずに迷走する。英語学習が最たる例だと思う。最終形態が分からないから短期目標が見えない。試験なら目標設定が簡単だから進んでいけるのに。

また周りが90点以上の時に90点で満足していると、比べられた時に困る。比べられるんだったら、やはりいい評価をもらいたい。しかし、他人を気にしてまで頑張る気にはなれない。

それは昔からそうだった。自分が好きだからやってみて、強いから勝つ。知識があるから点数が取れる。そういう状態が自分の性分にあっている。留学話になると相対評価がメインになる。他人より低い評価になるのは嫌だなとは思いつつも、その思考回路だと全くやる気がでない。やはり、自分が許容できる理想像を押し上げていくしかない。とりあえず、ローランドみたいに理想を高くもつ練習から始めようと思う。絶対評価が自分には合っているんだろう。

 

②行動派と思考派

まずやってみる人と考えてから行動に移す人がいる。完全に自分は後者で、考えすぎてやらないまま終わることもしばしばある。しっかりと考えるから、失敗も少ない。それでいいかと思っていたが最近は変化が必要だなと実感する。

同期に完全な行動派がいるが、時に彼らを羨ましく思う。完全に行動から入ることは自分には無理なので、初動で求める完成度を緩くすることから始めようと思う。

完成度を高くして行動してきた結果として、得意分野の見極めは上手いと思う。勝てるフィールドでしか勝負してこなかったとも言える。その結果として、負けることや批評を受けることが下手くそだ。すぐに落ち込んでしまう。自分に対する評価と自分のパフォーマンスに対する評価や批評を切り離して捉えることが下手くそ。行動を増やすと、批評されることが多くなるのと思うので落ち込まないように気をつけたい。

 

こんなところかな。

最近は周りを信頼して頼りまくっている。山王戦の三井みたいな状態。普段の行いがいいための特権だと思って、しばらくはおんぶに抱っこで進ませてもらおう。